クローン病・克服・闘病生活から生き残る方法・戦える体を作り始める
B!
退院後私自身に体力がないことに気付く!
クローン病克服のために行い今でも続けていること!
こんにちはクローン村上です、クローン病を発症したころの記事を書いていて
あの時のことを思い出し、ちょっとだけノスタルジーに浸って懐かしさを感じておりました。
居酒屋で。
札幌の北24条にある居酒屋サスケさんのまかない飯です、みんなでご飯食べに行くため
その日にあわせて食事や運動を調整して体調を整えていったので美味しく楽しい時間をすごすことが出来ました。
クローン病を発症したばかりの頃、まさか一人でこんな大きなどんぶりを食べられるとは思いもしなかったことでしょう。
それでも、”何とかなりたいんだ!” その一心で当時はじめたことを書き出していきます。
1.クローン病克服のためにやり始めたこと
私が一番先にきずいた事は、基礎体力が落ちているという事です。
入院生活が、トータルで8ヶ月以上続くと体力が低下します。
入院中、医師にリハビリ室で1時間半の運動を行うことを勧められました。
そして医学療法士にいろいろ教えてもらいながら運動していくのですが……。
5kgのダンベルすらもてない自分に情けなくなります。
入院中は、寝て起きて安静にしている生活でした。
頭では理解していたのですが、実際に動いてみて身体がついていかない現実を身をもってしると辛いものがあります。
それでもリハビリですから社会復帰のためにはやらないといけないわけですよ。
やはり徐々に身体をならして体力つけていく必要があり、当時の私でもできるものから始めていきました。
手術後ですしね、腹膜炎にならないように病院を巡回するぐらいの運動を毎日行っていました。
今も同じ病院に通っていますが、大体の場所は変わっていないのでわかります!
下手したら実際に勤務されている若い方よりも隅々まで知っているかもしれません。
いやというほど歩きましたから……7階から地下2階の霊案室までわかりますよ!
2.クローン病と運動について
内科担当の医師の勧めで体力をつける為にリハビリ室に通う日々がはじまりました。
時間を決められて毎日リハビリ室に通ってトレーニングを始めていきます。
リハビリ室に何故かボート漕ぎマシーンがあり毎日漕いでました。
ダンベル運動もやりました。運動の仕方がよくわからないので自分流でした。
今考えるとめちゃくちゃな運動の日々でした。
そして、外出の許可が出ます。素行はちゃんとしていましたとも。
あっ、内緒の食事なんてしていませんよもちろん! その頃は私も模範的な患者さんやってましたよ。
外出してバス停2個分ほど歩いてみたのですが……すぐに疲れてしまいます。
いやー病院の中を歩くのとアスファルトの上で歩くのとは全然疲労感が違いましたし、外って歩くと景色変わるんですね!
リハビリ室や院内と違って歩くと色んな風景がみれて、もちろん山のように美しいものではありませんよ?
普通の街の風景ですが、久々に外に出た当時の私からしたら新鮮なものでした。
なんだか久々にシャバに出た模範囚みたいな感想になっちゃいましたね。
非常に楽しい時間を過ごせましたよ、だから歩くのを続けていたのですが、最初はバス亭二つでヘトヘトになっていたのに
なれると自然と体力がついてくるもので退院前には2キロは歩けるようになりました。
念願かなって職場復帰に成功しますがなかなか体力がもたず直ぐに疲れてしまいます。
ある時、映画を見に行きました。ボクシング映画でした。
仕事を再開したもののリハビリしたもののやっぱり弱った身体にはこたえる日々で
精神的に疲れていたのですが、スクリーンの中でどんどん強くなっていく主役俳優をみていると
なぜかもの凄く惹かれていきずっと釘付けになってみていました。
そうなんです、挫折を知り立ち上がるべく強くなっていく主人公と自分を重ねていたんです。
そうだ!ボクシングだ!ボクジングを始めよう!!とその場で決意しました。
文字にすると単純そうに思えるでしょう? でも結局、そう思って何かを始める行動力こそが大切なのですよ。
ジムに通い始めて最初のうちは縄とび(ロープワーク)3分間飛びつづけて1分休みの日々です。
5ラウンドから始めました。
そしてシャドーボクシングをしてミットうちを経てサンドバックを打ち込む日々でした。
ある日、ジムの会長に「マスやれ!!」と言われました。
(マスって何?って牛を生身で倒した空手家の大山倍達?かと思いましたが軽く当てるボクシングのことでした)
ヘッドギアを付けて14オンスのグローブを付け、先輩相手にマスボクシング(軽く当てる)で戦う日々が始まります。
毎日ボコボコにされました。パンチが当たらないんですもん。
でも、少しずつ当たるようになっていくのが楽しくて仕方ありませんでした。
ボロボロになりながらもちょっとずつ自分の身体はドンドン強くなっている、そう実感できて嬉しかった。
リハビリも同じです、バス停2つぶんしか歩けなかった自分が2kmも歩けるようになるのが喜びだった。
自己達成感を得られると人間はどんなに辛くても頑張れてどんどんスゴイ自分になっていくんです。
「俺はもっと強くなるんだ、まだまだやれる。ボクシングの強さじゃない、強い自分になるんだ」
そう思って総合格闘技も始めていくのですが練習でバスター(投げ技)を食らって
首に怪我をしてしまい手足がしびれるようになったので格闘技を引退しました。
その時に同時に筋トレをしてました。最後に体力つける手段として
ボディメイク(ボディビルダー)の道に走ります。
理由は、整形のリハビリではなかなか良くならなくて筋肉で骨や神経を補う
方法をとりました。筋肉理論で怪我は筋肉で治そう!
プロレスイベントで、新日本プロレスの棚橋弘至さんにあって話をすることに
なります棚橋選手は体も大きくて、かっこよかったです。
握手会がありお話しすることができました。
私も棚橋選手になれますか?と質問しました。
「なれるよ!」と答えてくれました。(現在も私はプロレスラーにはなれていませんが……希望はもらいました)
そして、棚橋選手が札幌に来るときにトレーニングで使うジムに通いました。
今考えれば無謀でしかありません!
だって当時は体重55kgのただの細い人でしたもの。
周りはボディビルダーしかいません!
体も大きく筋肉もでかくコンテストに出場している選手の集まりでした。
最初はどんなトレーニングすれば解りませんでした。
しかしジムの経営者がスクワットのやり方から始まりマシーントレーニング、そしてフリーウエイトまで教えてくれました。
その時にベストボディジャパンのポスターをみて出場したくなりました。
つまり目標が出来ました!
そして、ある程度ジムトレができるようになりましたが……。
仕事の都合上通うのが辛くなりました。
今度は、24時間空いているジムを探します。
正月・お盆・年末関係なく24時間営業年中無休しているジムに通い始めました。
3.これからの展望!
そして2018年夏に開催予定だった筋肉際が、北海道胆振東部地震によって開催中止になってしまいました。
(筋肉祭実行委員会公式HPより転載)
しかし、2018年12月15日に開催することになりました。
友人に誘われて、初めてコンテストに出場することになりました。
結果は、惨敗でした。自己流でトレーニングしていても残念ながらバキバキの体にはなりませんでした。
他の人は綺麗で無駄のない筋肉になっている方が当たり前でした。
つまりは、井の中の蛙でした。
そこで実行委員会のなかでパーソナルジムオリジンの札幌ジムを見つけました。
コンテスト受賞者しかいないジムです。
そして、2019年1月4日から体験して入会します。
「ベストボディに出たいです。しかも入賞日本一目指したいです」と伝えました。
クローン病を受け入れてくれた上で、一緒にがんばりましょうと日本一の目標に向かって努力し始めます。
担当トレーナーには感謝しております。
6ヶ月間で体重12キロ減少体脂肪は20%あったのが
ベストボディ札幌大会当日は体重54kg体脂肪4%まで落としました。
しかし、結果は4位でした――残念な結果に終わりました。
来年からは、もっとトレー二グと食事管理をしてフィジークに出場します。
もちろん上位入賞し全国大会に出たいです。
誰が見ても無謀な挑戦かもしれませんが
私は、特別な選ばれ者なので必ず出来ると信じています。
そして同じくクローン病を発症したあなたも。
―――私の目標は、自分で見つけにいく!
夢ではなく目標(夢は見ているだけでは叶わない)
この目標は、誰の為でもなく自分のために。
たとえ難病であっても誰も止められない!